やりたいことをやるために、やりたくないことをやるべき時がある

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昨今、「好きなことをやる」ことを推奨する向きがあるようです。

うん、僕もやりたいw

好きなことをずっとやって、お金を稼ぎ、行きたいところに行きたい時に行き、食べたいものを食べたいだけ食べる。

こうして言葉だけを並べてみると、実に魅力的に見えてきます。

ただし、ここには大きな罠もあって、そこに気づかずにハマっている人もいるのではないかと思います。

例えばプリズナートレーニング

例えば、僕は今プリズナートレーニングに取り組んでいますが、それは何のためか。

いくつか思い浮かびます。

・モテるため
・モテるべきだから

・健康でいたいから
・モテたいから
・痩せたいから
・モテたいから
・強くなりたいから
・突然襲われた時に逃げ切る、あるいは返り討ちにするため

などです。

筋肉でモテるのかどうか、実際のところは知りませんが、一定層にはモテるじゃないかとは思っています。

閑話休題。

動機が不純であれ何であれ、筋トレの目的としてあげたこれらの項目は「僕のやりたいこと」であり、「なりたい姿」であり、「やりたいこと」です。

つまり、筋トレ(プリズナートレーニング )というのは、あくまで手段であり、筋トレそれ自体をやりたいか?というと、実際そうでもないかもしれない。

目的が達成できるのであれば、手段は実際何でもいい。

ただ、筋肉をつけ、最強になるためには、現代においてはやはり、筋トレして精進するしかありません。

ダイジョーブ博士はいないのです。

実現したいことのために

何が言いたいか。

要は、やりたいことを実現するために、やりたくないことをやらないといけない時がある。

ということです。

「楽して痩せたい。食べたいものを食べたい」

と人は言う。

だけど、そんなものは幻想で、痩せたいのなら、一定期間食べたいものを我慢しなきゃいけないことはあるだろうし、苦手・嫌いな運動だってやらなきゃいけないことはある。

そこから逃れるのであれば、やはり「痩せたい」というあなたの願望は叶わない。残念ながらデブのままです。

それが「ありたい姿」なら、いいんですけどね。

都合のいい解釈をしてはいないか

これは何も、筋トレやダイエットだけに言えることではありません。

今をときめく大企業も、最初は創業者の「やりたいこと」を実現する手段だったはずです。

でも、その道のりは決して平坦ではないから、途中でやりたくないこと(クレーム処理とか)にはぶち当たることになる。

それでも、実現したいことがあるから頑張れる。

構図としては、そう言うものだと思うのです。

ですが、発信者の意図はそういうことだとしても、何やら都合よく解釈をして、手段としての楽しいことだけやって生きていきたいみたいになっているような気もします。

たとえ、楽しい手段を選んだとしても、おそらく嫌なことにはぶち当たるはずなのですが、そういうことからは目をそらしてはいないでしょうか。

それは果たして、やりたいことを実現するのに役に立つことなのか、個人的には大いに疑問です。

まとめ

今日は仕事がだいぶ溜まってしまい、優先順位付けなんかもうまくいかない一日でした。

つまり、成長できる環境にはいるけれど、タスクに埋もれると言う嫌なことに見舞われたわけです。

そんなこともあって、嫌なことをこなすことも、ひいてはありたい自分になるための必要なプロセスなんだよな、と思い至ったわけです。

本日の成長

やりたいことを実現するためには、やりたくないことをやらないきゃならない時がある

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ABOUTこの記事をかいた人

naoto@コーチ

TCS認定コーチ 某コンサル会社に勤務する傍ら、思考を言語化することで、夢や目標の発見から達成までをコーチングを用いて支援している。 自身も鍛錬をするべく、プリズナートレーニングを実践中。 趣味はロードバイク。2児の父でもある。