こんにちは。かめだです。
ここ1週間ほど、ランニングを続けることができているのですが、その時に、いろいろな感情が湧き出てくるという話をしました。
走っている最中に思ったことなので、深く考えていくのはなかなか困難なのですが、それでも感じたことは走った後にメモっておくことも続けています。
何を狙っているのかというと、目的は2つあります。
1)自分の感情を直視すること
2)より深く自分のインサイトを掘り下げていく
です。
例えばこうなる
僕の場合、筋トレ→走るという流れになってるのですが、感情の違いはこんな感じなのです。
筋トレ→1,2,3,4,5…あと5回、あ、い、う、え、お…終了っ!!
ラン→いやー、走り始めたけどもうきつい。できることならやりたくない、どれくらいのペースで走ろうか、できる限り15分で帰ってこられるようにしたいところ。いつも同じ場所だと現状維持メカニズムに引きずりこまれるから違うところもコースに入れるけどそれだと計算があわないか?ええいいままよ!
みたいな。
はい、筋トレ中のセルフトークは、数えているだけですね笑
だけど、これは「集中できている」とも捉えることができて、むしろ余計なことを考えているときにはだいたい回数もセット数も伸びません。
逆に、ランの時は走る以外は基本暇ということもありますが、結構ネガティブな感情が渦巻いていますよね。
もちろん、こんな日ばっかりではないですが、7日間やってきたうちの半分以上はこんな感じでした。
言語化することでコントロールできる行動がある
一見、なんでもないようなことなのですが、このように自分の中で行われている会話=セルフトークを書き出して見える化することが習慣になってきています。
おかげで、やめようとしている良習慣にやめる前に気づくことができたり、どうなれば自分の感情がどう振れるのかがわかってくるので、行動を事前に選ぶこともできるようになってきます。
このこと自体がめんどくさい、というのはあるのですが、これもやっぱり慣れですね。
まだまだ僕自身、改善の余地は感じていますが、「思考を文字化する」というのは、自分が掲げている目標やゴールに向かううえで、とても重要なことだと思います。
考えている=書いている
これはあくまで私見ですが、「考えている」と言える時、それは「書いているとき」だと言えるのではないでしょうか。
なぜなら、「考えている」と言って、手も動かさずに脳内だけで思考を巡らせているときって、結局なんの着地にも至らなかったり、いたずらに時間だけ消費していることがよくあるんです。
でも、書くことによって、思考があちこち散らばらず、考えていることを都度整理しながら前進させることができる感覚があるのです。
なので、僕は「思考」とは、「書くこと」というのが一つの基準になってます。
手が動いてないとき、僕の場合は生産性0だと考えているといっても過言ではありません。
まとめ
ぼくは、多くの人にどうようのことが言えると思いますし、「言語化」というのはコーチングセッションでも追及します。それしかしないと言ってもよいくらいです。
ただ、あくまで書くというのは手段であって目的ではないので、自分に合った形を追求するのが一番よいでしょう。
要は、自分の思考が明確になり、目標に向けて前進していければ、別に手段はなんだっていいのですから。
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