書店に行くと、「◯◯だけやればOK」という主旨のダイエット・筋トレ本をよく見ます。
よく考えなくてもわかりますが、大抵が、これだけだとダメなものが多いように思います。
そして、案の定そういった声でよく批判されるわけですが、批判している人の大半が「すでにトレーニングが習慣化している人」による「正論」のように思います。
正論なのですが、習慣の難しさを考えると、あながち批判できないですし、何より、批判してしまうとまずい事態も起こる気がしているんですよね。
「だけ本」批判の問題点
結論からいってしまうと、
1)習慣にするのは難しいという前提が抜けている
2)習慣化していない人に、「やらない言い訳」を提供してしまう
というのが、「だけ本」批判の功罪の「罪」の方だと思います。
1)習慣にするのは難しいという前提が抜けている
まず1)についてです。
人は、基本的に現状を維持したがる習性があることは、トレーニング以外のことで思い出してみると、自分には心当たりがありすぎて辛くなります…
「さあ!ダイエットするぞ!!」と思っても、トレーニングも食事の調整も、これまでの習慣とは違うことになるので、それは本人にとっては辛いこと。
習慣にするには、いきなり本格的なことをするのではなく、小さいことから少しずつ始めるのが一番良いというのもまた、経験的なことからわかってきたことです。
確かに「こんなに意味ない、ちゃんとやれ」というのは、極めて正しいことですが、無理解であることもまた確かだと思うのです。
2)習慣化していない人に、「やらない言い訳」を提供してしまう
そもそも、こうした「だけ本」のターゲットになる人って、どんな人でしょうか。
恐らく、トレーニングが習慣化していない素人さんです。
先ほど、人間には現状を維持したがる習性があるという話をしましたが、これによって引き起こされるのは、「やらない言い訳を探すこと」です。
やらない言い訳を探すのに、正論を唱えるトレーニーの声は格好の材料となります。
「ほら、しっかりやってる人が意味ないって言ってる。だからやらない」
こうして、また一人、痩せたいと口では言いながら何もしない人が誕生するのでした…
著者の言いたい真意を推測する
そして、恐らく、著者はそのことがわかっている。
だから、本のタイトルはともかく、言いたいことはこういうことなんじゃないかと思うんです。
「まずはこれだけやっておけ。話はそれからだ」
本のタイトルは、著者本人ではなく、編集者が決めていると聞いたことがあります。
真相はわかりませんが、いずれにしてもキャッチーなタイトルにして目をひき、手に撮らせないといけないですからね。
そのことの賛否はともかく、著者としてはこれだけでいいとは思っていなくて、これをきっかけに運動を習慣にし、慣れてきたら色々広げていって欲しい、ということなんじゃないか。
と、好意的に解釈をしてみたのですが、裏読みがピュアすぎるでしょうか。
手に取るだけマシかもしれない
こうした「だけ本」が量産される背景には、「フックになって売れるから」というちょっとゲスなマーケティング的視点と、人間心理の理解があることは確かでしょう。
いい加減、飽きられても良さそうなものですけどね。
でも、こういう本を手に取る人って、ぶっちゃけカモにされてると思う反面、救いようもあるのかなって思うんですよね。
少なくとも、「これだけはやってみよう」って思って、何度かは行動にうつそうとしてみる訳ですからね。
ただ、現状維持の力に負けてしまったという不幸な現実はあるにせよ、鼻から諦めて何もしなかったり、批評ばかりで何もしない人よりはマシなのではないかと。
まあ、続けろよって話ではあるんですけど、素養はあるよなって思ったりします。
まとめ
なので、あまり「だけ本」を頭ごなしに否定しすぎるのも考えものだなって思ったんですよね。
少なくとも、何かを変えようとし、行動にうつそうとした人を批判はできないですし。
とはいえ、「これだけ」のこともできないのに、痩せたいとか言ってんじゃねーぞ?って、思う自分もいますけどね、やっぱり。
というわけで、「まずやってみればいいじゃん」って、やらない人に言いたかっただけです。
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