プリズナートレーニングを始めてからというもの、ガタイはよくなってきましたが、体重・体脂肪は減りません。
そこで、マクロ管理法を導入して何とか痩せようとがんばっております。
サッカーのワールドカップやテニスの錦織選手などを見ていると、私のがんばりなんぞまだまだだな…と思わされますね。
自分はまだまだ足りない。
そんなわけで、仕事も副業もプリズナートレーニングももっとしっかり突き詰めていきたい今日このごろです。
「顔晴る」と書いてがんばると読む…
で、先ほど書いた「がんばる」って言葉あるじゃないですか。
漢字で書くと「頑張る」ですね。
最近、この「頑張る」を顔が晴れると書いて「顔晴る」と読ませるのが流行っているんだかいないんだか。
だからなのでしょうか。
とにかく、ちょいちょい見かけるんです。
これ、調べたら、どうやら当て字のようなんですね。
この言葉が辞書的に持っている意味っていうのは漢字由来ではないということになります。
なので、特に何を当てようが個人の自由だと思う一方で、個人的に、嫌いで、使っている人のことを今一つ信用もできないんですよね。
もはや、気持ち悪いといってもいい。
頑張っている状態ってどんなですか?
意図はわかります。
深刻になってもいいことないし、顔を晴れやかにしてやっていこうぜ!っていうポジティブシンキングなんでしょう。
それはわかるんです。
確かに深刻に思い悩んでも自分のパフォーマンスなんて出せないでしょう。
笑うくらいでちょうどいいのかも知れない。
でも、その一方で「なんて想像力を欠いた表面的なこと言ってんだろう」とも思っちゃうんです。
だってそうでしょう?
さっきも言いましたけど「頑張る」って当て字ですよ。
顔張るにしようが意味は変わりません。もちろん辞書的にはですけど。
だし、想像してみて欲しいんですけども、いくら顔が晴れたところで、「がんばっている」時の自分って、心の中では歯を食いしばってませんか?
実はすっごい無理して顔を作ったりしてませんか??
けっこう苦しいと思うんですよ。
当て字で勝負するなら「頑張る」のほうがしっくりきません?
それでも言い訳しないでなんとかがんばろうとしている姿に心を打たれたりすると思うんですね。
ワールドカップを見ていても、もちろん時に顔が緩むシーンなどありますが、基本真剣な表情です。
モドリッチなんて必死の形相でボールおってました。
顔晴るって感じじゃないんですよね。真剣だし、必死なんです。
なんか、あまり真剣さを感じないといいますか、この当て字に。
むしろ、ちゃんちゃらおかしい。
もしかしたらぼくが言った事なんて織り込み済みで、想像力がないのはぼくの方なのかもしれませんけども。
あえて言いたい。
浅いと。実に浅いと。
戦う姿は美しい
漢字の当て方変えたところで、頑張る人のあり方が変わるわけではありません。
要は、言葉の意味を自分なりに言語化し、体現しているかどうかが勝負なのだと思うのです。
顔が晴れようが、それで力が出るのならいいと思うのです。
が、なんか、表面的な印象を受けてしまうのは、僕の底意地が悪いからにほかなりません。
だけど、わかりやすい言葉に書き換えて満足していて、その実なんの中身も伴っていないような気がして仕方がないのです。
おそらくそういう思い込みの目で見てしまっているのもあるとは思うのですが。
そういう意味では、この「顔晴る」に限らず「変な造語」全般、わたしは嫌いです。
「志事」とかね。
いちいち漢字を変えないと、志の一つも持てんのか?とツッコミたくなります。
まとめ
ぼくは、文章を書くのは決して上手ではないですし、むしろ下手なのですが、自分の考えを言葉にするということは何にも代えがたい強さを生み出すと思っています。
強さというのは、メンタルであったり、人に与える影響力だったりです。
だからなのか、今ある言葉(漢字)が気に入らないからと言って、安易に漢字を変えてしまう感じがどうも共感できないのです。
むしろ、弱さの象徴のようにすら感じます。
なぜなら、漢字を当て変えないと、笑顔にもなれなければ志も持てないということを暗示しているではないですか。
という愚痴に近い記事になってしまいましたが、僕は、これからも言語化の過程では、使う感じですらも大事にしたいと思っています。
意味を込めるのは、自分次第です。
【今日の成長】
自分の言葉を言語化するのは大切。言葉は言霊。だから、表面ではなく、中身にこそ自分の心を向けないといけない。
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