大人になると、なかなか人からフィードバックをもらう機会というのもなくなります。
そもそも、自分が他人からどう見えているかは、気にするわりに負の側面が返ってくるのはあまりいい気分がするものではないです。
自分が自覚していることほど蓋をしたくなり、それを人から指摘されると恥ずかしさからか逆上したい気分にまでなってしまうことも少なくないように思います。
少なくとも、ぼくは本当に恥ずかしくなってしまう。
ですが、こうした機会があるというのは、本来感謝すべきことだよなと思います。
なので、ぼくはフィードバックは基本的に誰からであっても歓迎するようにしています。
フィードバックとは
「こうしたほうがいいのにな」とか「自分が感じたこと」とか、相手の改善を促すような言葉であればあるほど、それは言いにくいものです。
自分がそうなんだから、相手だってそのはず。
このような、「とても言いにくいことなんだけど、相手の向上につながるような言葉」をフィードバックと、ここでは定義しておきます。
具体的には、主に仕事でのアウトプットに対する意見とか、ふるまいへの注意とかが多いでしょうかね。
なぜ歓迎するのか
自分のアウトプットって、人にどう伝わっているかで決まると言ってもいいですし、そう考えると、人からどう見えているのか・聞こえているのかを確認しないと、裸の王様状態になってしまう可能性があります。
いくら自分が完璧だと思っても、相手に伝わっていないのであれば、それはなんからの改善点があるということです。
ですが、これを「相手の受け取り方が悪い」と考えて自分を顧みないというのは、自分の成長を妨げる行為だと思います。
もちろん、本当に相手に問題があることもあるでしょう。
ですが、それでも一度立ち止まっていったん受け止めてみることで、自分を向上する機会を得られるかもしれないですよね。
そう思うと、やはりフィードバックは受け止めておくべきだと思うのです。
受け止めない場合
基本のスタンスとしてはそうなんですが、受け止めない場合ももちろんあります。
それが誹謗中傷のときです。
これはスルーでよい。
誹謗中傷とフィードバックの見極めがポイントになりますが、誹謗中傷ってわかりやすいですよね。
基本、「汚い言葉」の姿をしていますよね。
こういうのを真に受けていると、身がもちません。
インフルエンサーでもない限り、なかなか誹謗中傷の憂き目にあうこともないと思いますが、「いじめ」とかだとわかりやすいでしょうか。
これは、探せば学べることもあるのかもしれませんが、反面教師という自明のこと以外、得るものはないですしね。
できる限り受け止めてみる
もし、人からの意見には耳をふさいでしまいがち、という人がいたら、ちょっとでもいいので考えてみることをお勧めします。
自分が客観的にどう見えているのか把握するのは、自分だけではなかなか限度があります。
手を変え品を変えいろいろやってはいるものの、少なくとも自分にはなかなか難しい。
だからこそ、言いにくいこと、厳しいことを言ってくれる人というのは貴重です。
自分を成長させていくために、必要な過程なので、メンタルを壊さない程度に受け止めてみてはどうでしょうか。
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