文学作品を読むべき3つの理由

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ツイッター上で軽く議論になっていたこの話題。

ちょっと事実が見えないので、議事録かなにかがあるのなら読みたいところですが、自己矛盾するようですが超絶めんどくさいので、平野さんのこのツイートをもとに、私見をまとめておきます。

僕の考えはこう。

「文科省が何言うか知らんけど、自主的に文学作品は読んだほうがいいよ。若い子らよ。」

文学を読んだほうが良いと思うわけ

ここでいう文学は、現代小説ではなくて、近代文学、夏目漱石や森鴎外といった、古くから読まれている類の本を指しています。

個人的な体験としては、高校生の頃に夏目漱石の「こころ」や森鴎外の「舞姫」が教科書に載っていて、そこで読書体験が終わっているのですw

なので、ここだけ切り取ると全くもって説得力に欠けるのですが、30も半ばになって「教養のなさ」がまずいのではないか?と思ったこともあり、読み始めたのです。

言葉を扱う仕事をしているのもあって、メリットは多かったので、「読んだほうがよい理由」としていくつか提案です。

あくまで私見です。

1.教養の獲得

第1に教養の獲得です。

社会人になると、いろんな人と会いますし、話すことになります。

その際、面白かったり、深い思考の末に出てきているコメントをする人に出会います。

で、こういう人にだいたい共通しているのが、教養があること。

その一つが文学作品を読んでいることでした。

もちろん、これにエビデンスはない僕調べでしかないのですが、どこかで人の上に立っているような人はもれなく教養があり、文学作品は読んでいるというのを目にしたようなしてないような…

2.思考力が高まる

第2に思考力を高めることができるのではないか、ということ。

ここまでまだ大して読めてないのですが、森鴎外で3作品、夏目漱石で3作品を2か月で読みました。

いずれも、正直難しく、よくわからないことのほうが多いです。

特に、森鴎外に関しては擬古文のため、ストーリーを把握することすらままなりません。

ですが、彼らの文章と戦うことで、頭は使います。

この過程で、新たな視点を獲得したり、漱石・鴎外の深い思考力に触れることで、自分の思考を深くしていくことにもつながっていくように思います。

3.言葉の獲得

第3に、言葉の獲得が挙げられます。

要は、表現力を豊かにすることができると感じています。

「書く」ことを通じて誰かに伝えるためには、論理構成ももちろん大事ですが、どう表現するのかも伝達度合いを左右します。

もちろん、擬古文で書けるようになるとかではないですがw、「このメッセージを伝えるのに、こんな表現をするのか」「こんなたとえの仕方をするのか」ということにけっこう出くわします。

自分の言いたいことが伝わらないとき、もっと他によい表現はないだろうか?と悩むことがありますが、文学作品を読むことで自分が使える言葉のバリエーションが増えていくのではないか、と感じています。

マンガで読まない

難しさがあるからか、昨今なんでも「漫画化」してわかりするのが流行っています。

ですがこれ、ストーリーの把握以外、役に立たないと思います。

もっと言うと、読んだことにならないというか。

原文に触れ、彼らの文章と格闘することで獲得できる思考力や表現力を得ることはできません。

簡単ならOKというのは、憂慮すべき流れでもあるかと思います。

まとめ

まだ僕は文学作品を読み始めたばかりで、偉そうなことは何も言えません。

ですが、「若いころから読んでおけばよかった…」という後悔をしているだけに、冒頭の高校教育の流れが本当なのであれば残念です。

平野さんのツイートにあるように、滅亡まっしぐらなのかはわかりませんが、書くことを仕事とする場合には読んでおくことはメリットだらけだと思います。

ちなみに、文学作品てとても難しいので、出口先生の解説を補助教材として読むと、理解の助けになります。

簡単に理解するということではなく、作品が書かれた時代背景なども踏まえられるので、より深く読むことができるという意味です。

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ABOUTこの記事をかいた人

naoto@コーチ

TCS認定コーチ 某コンサル会社に勤務する傍ら、思考を言語化することで、夢や目標の発見から達成までをコーチングを用いて支援している。 自身も鍛錬をするべく、プリズナートレーニングを実践中。 趣味はロードバイク。2児の父でもある。