こんにちは、かめだです。
ここ最近、読書に関しては文学作品が中心で、ビジネス書などは読まなくなりました。
仕事の流れで読む本もあるのですが、主には「ものの見方」「視点」を得たいからです。
その点、時代こそ古いですが、文学作品は当時の世相や常識をどう考え、見て、表現するか、という点でとても勉強になります。
ほんと、学生時代から読んでおくべきでした。
絶望的な目で見れば絶望的な世界が真実になる
今は芥川龍之介の作品を読んでいるのですが、まあこの人は暗いですねw
なにせ、最後は自殺してしまうし、「歯車」「或阿呆の一生」は遺書ともいわれる作品なので、彼の発狂ぶりがかなり如実に描かれています。
自殺した後に発表された作品という前提を把握しておくと、その凄まじい精神状態のありようも伝わってきます。
この作品を読んでると、なんでもないことを「絶望的に解釈」をして、人生そのものに絶望してってるんですよね。
一部の例外を除いて、多くの人はブランコが公園にあるのを見て「絞首台が思い浮かぶ」とか、まあないじゃないですか。
ぼくは、公園のブランコを見たら娘たちと遊んでるところを思い浮かべますしね。
他のことを思い浮かべる人もいるでしょう。
つまり、世の中の物事なんてものは本来は意味とかなくニュートラルなもので、自分がどう世の中を捉え、解釈するかなんだよなと思います。
「真実はいつも1つ!」とコナン君は言いますが、「真実は10人いれば10ある」と思うんですよね。
なので、物事や世の中をどう見るか、自分の視点の数や視野の広さ、視座転換をどれだけできるのかが自分の成長や人生にポイントになるんだよなと。
そんなことを読んでて思いました。
新たな視点を得るために
なので、自分にはない視点を得るために、いろんな人の話を聞いたり、本を読んだりするのは有効だと思っています。
ツイッターも同様です。使いようによっては、「こんな見方もあるのか」と参考になるものです。
もちろん、受け入れがたい考え方や価値観もあるにはありますけど、それも含めて視点です。
読みたいように読まない
ただ、注意しないといけないのが、自分の捉えたいように捉えること。
Amazonのレビューとか読んでると思いますが、「いや、そんなことどこにも書いてないよね?」ということが結構あります。
つまり、自分の読みたいように読んで、「学び」と称して何かを感じている。
それは、一定の意味はあると思いますが、自分の価値観や視点を強化しているだけで、新たな視点やものの見方の変化はなんだかんだもたらさないかなと。
相手が言っていることを言っているまま捉える、つまり、相手の論理を追うというのがとても大事だなと思います。
相手の言っていることに共感できる・できないはまた別の話にできるかどうか、ということでもありますね。
まとめ
今、自分のテーマが視点の獲得というところに比重が言っているので、本を読むのでもいろんなツイッターやコミュニティにいるのでも、相手の言っていることをそのまま捉えることを意識しています。
言っていることの言葉をそのまま受け止め、抽象化することによって、自分の視点や見方を増やしていきたいところです。
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